満身創痍で、1つ目の宿には着いた。
ここから交渉だ。
気が重い。
マリッサの家まで着くまでの話は以下をご覧いただきたい。
ノックしたが出てこない。
ドアノッカーも叩いてみる。
留守なのだろうか。
絶望した。
次の宿として考えていた「ホアキナの家」はそこまで遠くないが、今の私にはそんな力がない。
マリッサの家はコロナの時にはやめていたらしいが、今は再開したという情報を見ていた。
もう一度ノック…
出てこない。
もう一度ノック。
こうなりゃ、1000本ノックだ…
なんかかなり高い位置にボタンが…
そういうことね。
背伸びをしてブザーを鳴らして待つと、男性が出て来た。
マリッサじゃない。誰だこのおっさん。
すかさずGoogle翻訳先生をお見舞いすると、待つように言われた。
マリッサは外出中で、確認するとのこと。
なるべく伝えようとしてくれるが、私のスペイン語の理解力は単語レベルだ。
文で言われても分からない。
英語も中学レベルだ。
難しい言葉は笑顔でうなずくだけ。
おっさんが気まずそうに、外を確認してマリッサを待っていたが、10分ほどたった。
誰か来る気配はない。
途中電話したが繋がらずに、舌打ちをしてピリピリしていた。
後から分かったが、彼はかなり温和なため、1ヶ月間いてこのような状態になったのは、この時だけだった。
そこから数分後、オッサンがやたら外で喋り始めた。
何だと思ったら、若い男性が入って来た。
おっ、スペイン語で挨拶して来た。
彼もここに泊まる予定かと思ったが、ここにもう泊まっているとのことだ。
私にスペイン語が話せるか聞いて来た。
かなり流暢に喋れる…顔はまんま日本人なのに。
英語で切り返す。
どこの出身か聞かれた。
「Japanese」と答えた。
「私もです」と返ってきた言葉に、思わず声を失った。
一瞬何を言っているのか分からなかった。
このキューバで、「こんにちは。ありがとう。東京。」以外に聞いたのは初めてだった。
そこから先はとんとん拍子だった。
彼は8月末あたりにキューバに来ており、ハバナ大学でスペイン語のクラスを取っているらしい。
以降、留学生の彼のことは「Sさん」とする。
Sさんからは、ここの宿にある部屋は満杯と聞いていた。
多分、マリッサの知ってる別の場所を紹介されるのではないかと。
ぼったくりがなく、近ければいいなと思っていた。
ここまでの一件があって、日本語で会話できた安心感は、言い表せないほどだった。
しばらくの間は、自己紹介がてらリビングで、お互いについて話していく。
玄関からすぐの部屋は、客間や、リビングとして使用されている。
この場所には宿泊者用の冷蔵庫や、ブラウン管テレビ、椅子が何脚か配置されている。
客間で数十分話していると、鍵の開ける音が聞こえた。
マリッサが帰って来た。
さあ、交渉開始だ。
Sさんがこれまでのことをマリッサに話してくれる。
言葉に詰まることもなく、スペイン語が流暢だ。
すると、部屋はあるそうだ。
マリッサいわく、部屋は一つあるにはあるが、専用のシャワーや、トイレがないため、夫婦が使用しているところを共有することとなる。
そして、シャワーはお湯が出ないと言われた。
それでもいいかと聞かれて、「費用次第だ」と答えた。
宿泊費についての交渉が始まる。
この部屋は「1ヶ月150ドル」もらってるとのことなので、「1日平均5ドル」だと言われた。
あれ、知っている情報より安い。
水廻りが共用だからなのか。
今日からいつまでも泊まるのか伝えたところ、22泊になるから「100ドル」と言われた。
更に安くなるのか。
今までぼったくりにあっただけに、真逆のことをされて驚きが隠せなかった。
暑い国なのだからシャワーは、冷たくてもいい。
トイレはちょっと躊躇したが、手を差し出して契約をした。
トイレは少しだが、ストレスを感じるものだった。
タンク式なのだが、水は勝手には貯まらずに、自分で水を汲んで使用しないといけない。
家について説明を簡単に受けた。
マリッサはSさんに、あなたはキューバに来た先輩なんだから、高山に色んな事を教えないといけないわよ。と話していた。
そこからはSさんにバトンタッチして、色々と教えてもらった。
Sさんいわく最初に対応してくれたのはオッサンではなく、マリッサの旦那さんであった。
まず、キューバの物価と、交換レートについて教えてもらった。
今までどれだけぼったくられていたか知った。
「何と1ドル(USD)=250ペソ(CUP)」とのことだ。
空港では110ペソだった。
2倍以上違う。
何だこれは。
しかも、たまたまペソを交換する人が今日ここへやって来てくれるらしい。
レートは245ペソだ。
Sさんいわく200ドルあれば、自炊して1ヶ月暮らせるそうだ。
あとは、あまり美味しくない国営のレストランなら、「1食400ペソ」あたりで食べられるらしい。
美味しい店に行くなら、もう少し高い場所になると伝えられた。
キューバの話を教えてもらっているとチャイムと共に、両替を生業とする男性がやって来た。
200ドルを交換に出して、返って来たのは49000キューバペソだ。
500キューバペソを98枚渡された。
「お金を払う前に数を確認して、数え終わったらお金を払う。」
500ペソや、1000ペソなどの高額紙幣だと「偽札」が流行っているようだ。
ランダムに数枚透かしを確認してみよう。
無事問題なく、両替が完了した。
話をしたり、バックの中身を確認したり、今後の観光を考えていたら、すぐに夕飯時になった。
ここからSさんと共にレストランに出かける。
今後、ほとんどをSさんと行動していく。
マリッサさんオススメの店だ。
「現地人にとっては割高だが、味は保証されているらしい。」
割高のため、人がいないと思ったが、満員で待つことになった。
観光客は私たち2人だ。
店の名前は「Mimosa」といい、場所はマリッサの家がSan Miguel(サンミゲル)という通りから近い。
かなり量が多く、味も日本に近いクオリティで美味しい。
結局ピザなどは食べきれず持ち帰りとなり、マリッサのご飯になった。
注文した品が来るまでに、Sさんに話を聞いていた。
その中でも衝撃だったのは、この国の子供達のキューバに対する考え方だ。
Sさんが学生に、キューバについて今後どうなると聞いたそうだが、「キューバは終わっていく。そう長くない」と言われたらしい。
私自身、公園でも中学生の男の子から、似たようなことを言われた。
若い世代にはそのような考えが、少なからずあるようだ。
話をしている最中に、店の中でやたらスペイン語版「ハッピーバースデー」が流れる。
今後行くこととなる各レストランからも誕生日を祝う音楽が流れてくる。
彼らからしたら特別な時にしか食べれないのだろう。
大喜びな子供たちを見れば、特別な日だということが分かる。
店の中は、現地のキューバ人がとても多い。
この店はとにかく量がある。
ピザはかなり大きく、ボリューム満点だ。
価格はだいたい「一枚1000ペソ」ほどとなる。
一般的な国民の「月給」は、「2000ペソ〜6000ペソ」となる。
国の仕事をするのとは別に、飲食店や、観光客向けタクシー、売春婦はかなり儲かっている。
そのため、日本ではあり得ないほどの貧富の差がある。
キューバの人たちは、よく笑い、音楽に乗って、日がな一日を楽しむ。
しかし、本当のところは笑ってないと、やってられないとのこと。
貧しくて、暗いなんて最悪だろと言われた。
キューバでは肌の色で差別することなく、宗教も自由だ。
そして、観光立国でもある。
日本に近しいものがある。
日本も円安が進み、安いからと海外から来る人は多い。
全ての政府の政策が悪いわけではないが、こんなことを続けられたら、日本人が日本円を忌避することは十分にあり得る。
キューバのように自国の通貨ではなくドル、ユーロを求める日も遠くはないかもしれない。
日本が貧しくなってもキューバ人のように、幸せではなくても笑って過ごせるのだろうか。