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現実主義な投資本
マネーの公理は、1976年に出版されてから、多くの投資家に読まれた本の1つだ。
私がマネーの公理に出会ったのは、投資を始めて間もない頃だった。
右も左も分からなく、投資に夢を見ていた私にとって、読み終えるまで衝撃的な内容が続いた。
投資に夢見がちで、地に足がつかない私をこの本は、市場から撤退しない投資家へ導いてくれた。
間違いなく今の私があるのは、この本があるからだと言える。
今の投資家の間では当たり前になっているかもしれないが、現実的であり、投資の本質を教えてくれている。
当たり前とされるが、この書籍に書かれていることができる投資家は少ない。
この本の魅力を伝えるのはなかなか難しいが、要約してみたい。
マネーの公理は、12の公理と、公理を補うための16の副公理が存在する。
早速、見ていこう。
公理1:リスクについて
マネーの公理では、実際の例を引き合いに出すことが多い。
公理1では、資産状況が同程度の女性2人の話から始まる。
1人はリスクを極端に嫌い回避する。
銀行預金のように元本が保証されて、リターンが明確であることを好んでいた。
もう1人は、多少のリスクを許容していた。
元は同じ程度の資産だったが、その後の投資成績は、大きく異なった。
1人は債券や、銀行預金を行ったようだが、債券は約束されたほど安心できる商品ではなく、金利の上昇と共に資産価値は大きく損なわれた。
銀行預金も元本は保証されているものの、インフレの影響により望んだ結果とはならなかった。
もう一方は、資産をリスクに晒したため、資産の1/4を失うこともあり順風満帆とはいかなかったが、金への投機により金持ちとなった。
第1の公理ではリスクを許容することを是としている。
破滅的なリスクを受け入れのではなく、不安で眠れない夜があるくらいのリスクを人生のスパイスとして許容するよう説いている。
このマネーの公理では、投資ではなく、「投機」という言葉を頻繫に使っている。
リスクのない投資などほとんど存在しない。
全ての投資は投機であると一蹴している。
耳障りが良い投資という認識が、自身の判断を鈍らせて、多くの損失を招くと説いている。
副公理1:いつも意味のある勝負に出ること
この副公理は、「失っても大丈夫な金額だけ賭けること」この昔ながらの決まり文句に疑問を呈している。
失っても良いお金を10万円としてみて、それを賭けて倍となったとしても20万円にしかならない。
それであなたの経済的自由となる目標は達成できるのか。
少額でも宝くじのように当てたらリターンが大きいものも存在する。
しかし、負ける確率の方が高い。無謀な挑戦だ。
「リスクリワード」…マネーの公理ではその言葉は使用していないが、それに近いものをエピソードとして紹介している。
まさに意味のある勝負だ。
勝負をするのだから、損をする可能性があり、その場合は涼しい顔していられるほど優しい損失ではない。
しかし、損をしたとしても、リスクは取るべきだったと思えるものに投機するならば、それは意味のある勝負である。
失うものよりも得るものの方がずっと大きいのだから。
副公理2:分散投資の誘惑に負けないこと
続いての副公理は、「分散投資」に疑問を呈している。
分散投資は、リスクを低減するが金持ちになるという希望も同じくらい低減させる。
分散投資は、副公理1の意味のある勝負という教えに反しているし、利益と損失を相殺し合う。
そして、分散しているが故に、勉強とそれらをコントロールするのに、多くのリソースを割くこととなる。
全て好調の時は良いが、問題が起きた時にその苦しみも分散した数だけ増す。
分散投資という甘美な響きのために、分散を行うのであればそれはやめるべきだ。
私が好きな建築家ミースの言葉「Less is more」のように、安易に投機対象を増やすことの注意を呼びかけている。
公理2:強欲について
この公理ではチープにいえば、「利食い」について述べている。
ある女性がカジノでルーレットを回し、賭け金の10ドルから9800ドルまで増やした。
あと1万ドルまで200ドルという悪魔が囁いたのか、彼女はルーレットを回し、全ての手持ちを失った。
一度は幸運が訪れたものの、強欲に支配されてお金を失うよくあるストーリーだ。
生きていれば、思いがけない幸運の1つも訪れるものだ。
多くの人がそのチャンスをものにできない。
公理2では、「早すぎるほど早く利食え」と説いている。
利食いをして幸運から背を向けた後に、そのまま幸運が誰かの手に移ることもあるだろう。
その時の悔しさは、投機をしたことがある人間なら痛いほど分かるはずだ。
しかし、ピークがどこか分からないなら、ピークはもう近いと考える必要がある。
最大の幸運は手に入れられなくても後悔する必要はない。
最高の形ではないが、すでに幸運を手にしているのだから。
相場に身を置いていれば利食いなんて誰でも知っているが、幸運が訪れた時に、人はその鐘がいつまでも鳴ると思ってしまう。
そして、夢から醒めた後に後悔する。
同じ後悔なら全てでなくても、一部を手にして終わりにしよう。
この公理2では、強欲により利益を取り逃がしたエピソードが多く登場する。
相場を経験した者からすると、強欲に打ち勝つことは簡単でないことは誰もが知っている。
数々の失敗談を文面にして見ると愚かなピエロと思うが、渦中であれば多くの自称投資家がそうなってしまう。
私も当初はそうだった。
副公理3:あらかじめどれだけの利益がほしいのかを決めておけ
投機に成功して資産を増やしたとしても、全てのポジションが新しいポジションであるように錯覚することがある。
例えば元の1000ドルから倍の2000ドルに資産を増やしたとした場合、以前から2000ドルを持っていたかのように感じ、強欲に駆られてポジションを手仕舞いできないということが度々起こる。
スポーツであれば終わりが存在する。
マラソンのようにゴールが設けられていたり、試合があるスポーツなら勝ち続けても最後は優勝という形で終えられる。
しかし、投機の世界の終わりは、自身でゴールを見つけて、自身で終わらせないといけない。
ポジションを取る前に、手仕舞うゴールを決めるのだ。
今でいう出口戦略のようなもので、「入る前に出口を決めて、ゴールをそこから変更しないことだ。」
強欲とは厄介で、一度決めたゴールをもう少し先にしようと囁いてくる。
このままの勢いなら更に上昇することは目に見えているから、もう少しゴールを高くしようと考えてしまう。
マネーの公理では、勝ちの目が確実に出ると分かっていない限り、ポジションを手仕舞いして、得た利益で自身にご褒美を与えることをオススメしている。
公理3:希望について
船が沈み始めたら祈るな。飛び込め。
とてもシンプルで付け加える必要のない言葉だ。
大切なポイントは「沈み始めたら」だ。
自分が想定した逆の方向に価格が動くことは多々ある。
その時、この状況から好転する材料があるのか考えて欲しい。
答えはほとんどがNoのはずだ。
Yesと答えた時、バイアスと楽観主義に囚われていないか考えるべきだ。
さもないと、船の底で長い時を過ごさないといけなくなる。
公理3が言いたいことは、素早い「損切り」だ。
相場にいるなら誰でも知っている言葉だが、第2の公理と同じで、売却した後に価格が高騰することを恐れているはずだ。
そして、自身の判断の間違いを認めず、損することを避けたいがために、手仕舞いするポイントを先延ばししてしまう。
その結果、資産を塩漬けにすることで別のチャンスを逃し、大きな損失を抱えるか、数年待って損失が軽減するくらいだろう。
副公理4:小さな損失は人生の現実として甘んじて受けよ
自身の判断が間違いだったことを認めるのは、大変つらいものだが、人は間違えるものだ。
損切りは投機を行う上でのコストであり、上手く付き合っていかなければならない。
毎回勝負に勝ち続けられるものはいない。
生きていく中で食費、光熱費など維持コストがかかるが、投機の世界でもコストがかかるのだ。
+One
損切りは投資の中でも特に痛みを伴う。
損切りをものにするまでに市場から撤退することも少なくない。
私自身も失敗を認められず、逆指値を変更して手痛い失敗をしている。
トレーニングとして試して欲しいのが、ポーカーや、麻雀だ。
運が絡むゲームでは、いつも幸運の状態で勝ち続けることはできない。
いかに上手に負けるかがポーカーや、麻雀のコツとなるため、感覚を慣らすためにやってみて欲しい。
負け上手が身に付くと損切りも大きな抵抗がなくなり、目的を達成するためのコストだと思えるはずだ。
公理4:予測について
「予言者になることは簡単である。25の予想を立て、その中で本当になったものだけを話せばいいのだ。」
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、現代でも暴落論者がそれに近いかもしれない。
いつか来る暴落に備えて、永遠と暴落が来ると吹聴する。
そして、暴落が来た時には得意げに、未来が見えるように語り、今まで外れたことについては口を開くことはない。
すべての予言者は時々正しく、時々間違っている。
我々と同じで未来は見えていない。
予想や予測は外れるものだ。
大切なのはこれから起こることではなく、起こったことに対して反応することだ。
お金を投じるということは、自身が予測した方に賭けることになる。
しかし、予言者と同じく時々正しく、時々間違えるのだ。
正しい時は良い。
手仕舞うタイミングを見誤らなければ、良い航海となるだろう。
間違った時には分かっているね?
船が沈み始めたら祈るな。飛び込め。
第3の公理を思い出すことだ。
公理5:パターンについて
市場は色々な思惑が動いている。
まさにカオスだ。
カオスに必勝パターンを見出したと思うことが間違いである。
巷に溢れている投資本の手法には、パターンが存在すると思わせるような刺激的なタイトルばかりだ。
確かにその方法で儲けたのかもしれない。
しかし、その手法がその期間に運良く働いただけだ。
多くのものが運を過小評価しており、金持ちになったのは自分の実力だと勘違いしている。
運こそが投機の成功や失敗において最も強力な要因である。
相場はカオスであり、そこに幻想や、秩序、バイアスを持ち込んではいけない。
最後に第5の公理の教訓を伝えて締めたいと思う。
「さて、私はよく研究したし、やり方もわかっている。この賭けは私に勝利をもたらすだろう。でも私は、勝敗を左右するランダムな出来事を予測することも、コントロールすることもできない。間違う可能性が大きいことも知っている。万が一、間違いが起こった時にすぐ対応できるように、フットワークは軽くしておこう。」
副公理5:歴史家の罠に気をつけろ
歴史は繰り返すという根拠のない確信から、正確な予測が行えると考える人々が存在する。
当たり前の真実だが、歴史は繰り返すこともあるし、同じ歴史を繰り返さないこともある。
予測した未来が歴史に書いてあれば、記憶へのインパクトは大きい。
ほとんどが繰り返さないとしても。
我々にできることは、起きたことに対してどう反応するかだ。
副公理6:チャーティストの幻想に気をつけろ
チャートに線を引き、テクニカル分析をする。
美しく引かれた線は、未来を示すものだとして多くのものを欺く。
チャートにより、カオスな市場に必勝パターンを見出すものは多い。
高度な計算式を用いて答えを出したり、多くのテクニカル(MACD,ボリンジャーバンド等)を組み合わせることで、自身にしか解き明かせなかった真理がそこにあると錯覚する。
数学的な行為をすることで、答えが導き出せそうに感じることは、歴史家の罠よりも恐ろしい。
副公理7:相関と因果関係の妄想に気をつけろ
A株が上がると、B株は下がるなどの相関関係は、一時的なものである。
ウォール街で謳う因果関係などは、もっともらしく思えるものもあるが、市場はカオスであり、たまたまそう見えているだけである。
これらも前述しているものと同じで、そこに勝ち筋を見出してはいけない。
副公理8:ギャンブラーの誤謬に気をつけろ
「ついている」この感覚は自身を陶酔させ、悲惨な結果を迎える。
目的地まで信号に1つも捕まらず、テレビで見る占いはことごとく1位なんて小さな幸運は、偶然が重なることで起きる。
ラスベガスの役に立たない助言の1つに、勝負をする前にスロットマシーンに数ドルを賭けて、当たるようならば、今日のあなたはついている。
そうでないならば、幸運とは真逆にあり、ホテルに戻りテレビでも見ている方がいいと。
信じる者も多いが、これはギャンブラーの幻想であり、誤謬である。
実際はそうなる夜もあるし、そうならない夜もある。
根拠なき自信から自身を危険に晒すことは避け、幸運が訪れたのなら、第2の公理から学んだ「早すぎるほど早く利食え」を実践しよう。
+One
マネーの公理では、投機対象に対して勉強することは否定しておらず、むしろ推奨している。
ただし、注意すべき点がある。
例えば、このチャートを描くと、20%下落する。
特に11月に関しては、ここ5年同じことが起きているとしよう。
当たり前の事実だが、6年目も同じことが起こるかは分からない。
起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
勉強した結果、下落する傾向が強いのは事実であり、十分に勝負しにいく価値はある。
だが、今回そうならないのであれば、速やかに第3の公理を思い出して、船から飛び込むことだ。
公理6:機動力について
根を下ろすことは、精神的な安定をもたらしてくれる。
しかし、心地よい満足感を与えてくれる反面、投機としては高いコストを払うことになる。
チャンスが来た時に、機動力を失って動けない状態を避けるために、常に身軽に動ける状態を保つ必要がある。
チャンスは予期しないところから来ることもあるため、掴む準備を怠っていないものだけが、幸運を掴めるのだ。
根を切り落としてでも、進まなければならないこともある。
根は切り落とせないほど、太く成長させてはいけない。
副公理9:忠誠心やノスタルジーといった感情のせいで下落相場に捕まってはいけない
不動産など自身が投資した対象に愛着を持つことはある。
しかし、それが足かせとなり売りのタイミングを逃すことがある。
第3の公理の教訓「船が沈み始めたら祈るな。飛び込め。」が実践できなくなる。
また、自社株だったり、誰かの勧めで投機を決めたことにより、忠誠心や恩義などを感じることも同様である。
副公理10:より魅力的なものが見えたら、ただちに投資を中断しなければならない
投機をやっているのか、趣味を楽しんでいるのかわからない状況に陥ることがある。
珍しいコインや、切手のコレクションは、既に目標の仕入れ値の2倍は達成しているが、愛着を持ちすぎてコレクションを売ることができない。
チャンスと分かっている他の投機商品を見つけているにも関わらずにだ。
投機商品に慣れ親しみを感じるかもしれないが、他にチャンスがあるのなら、どちらが有利か、どちらがお金を投じるに値するかのみで判断するべきだ。
「モノに愛着を感じてはいけない。愛着は人だけに感じるべきものだ。」
公理7:直観について
直観は説明できるのであれば、信頼できる。
直観は投機をするうえで、度々発せられるシグナルだが、扱いを誤ると多くを失う。
利益も損失も。
直観は軽視もされるし、盲信もされる。
公理では直観は投機の道具として、一考の価値ありという位置付けである。
その直観は今まで蓄積した知識から来るものであり、説明できるものであれば、信頼性が高いとしている。
その場合、直観を生み出すほど巨大なデータの図書館が、あなたの中に存在しているか、十分に勉強したかを自問する必要がある。
この公理では、直観に対してテストすることを教えている。
答えがNoであるなら、それは幻想で、自身が見たい夢である。
また、バイアスにかかっていないかも考える必要がある。
そうなって欲しい有利な情報を集めただけでは、自分の中に有効なデータが存在していることにはならない。
研究した上での直観だとしても、100%信頼できる公式ではない。
そういう意味では、公理5のパターンに近いかもしれない。
副公理11:直観と希望を混同するな
大した知識もないのに、投機商品を見て直観が働くこともある。
特に自身にとって望む結果の場合は、倍注意を払うべきである。
常に間違っているということはないが、単なる期待に過ぎないことが多い。
反対に、自身が望まない結果を示唆する直観は、信頼する傾向が強い。
公理8:宗教とオカルトについて
残念ながら、宇宙に関する神の計画には、あなたを金持ちにすることは含まれていないようだ。
祈ってもお金持ちにはなれない。
神様のおかげというかもしれないが、それはあたなが幸運だっただけだ。
投機家がお金を賭ける時、頼れるのは自分以外誰もいない。
もちろん公理は、神様の存在の有無に関しては触れてはいない。
副公理12:占星術が当たるのであれば、すべての占星術師は金持ちである
占星術師や、宣教師、教祖などに対して、この質問をして欲しい。
「あなたは金持ちかと。」
もし、彼らが大した金持ちでないなら、あたなは1つ賢くなった。
宗教、オカルトに関わるものが、一般の人々よりも金持ちという事実はない。
金持ちもいるし、貧乏人もいるのが真実だ。
著者自身、ニューヨークで自称タロットの達人と昼食をとった。
達人は勘定書を著者が取るようにし、一時的にキャッシュフローの問題を抱えていることを説明しながら、タクシー代として5ドルをせびった。
以降、彼にも5ドルにも会っていない。
副公理13:迷信を追い払う必要はない。適当な所に置くことができれば楽しめる
ほとんどの人が迷信の1つや、2つを信じている。
教義や、オカルトの信奉ではなくても、幸運のお守りを持っていたり、ラッキーナンバーなどを心の拠り所としている。
迷信は投機に組み込むと大惨事になることもあるが、合理的な分析ではどうにもならないようなことであれば、楽しむ道具として使用できる。
宝くじや、数字のゲームで遊ぶために、ラッキーナンバーを選択しても、どの数字も同じ確率で当選する。
結果は完全にランダムなのだから、その場合はリラックスして、楽しめばいい。
少しのコストしかかからないなら、それは良い息抜きになる。
しかし、それに何万ドルをつぎ込もうとしているなら馬鹿げている。
公理9:楽観と悲観について
楽観は最高を期待することを意味し、自信は最悪に対処する術を知っていることを意味する。
楽観のみで行動してはならない。
楽観は通常はあなたに被害を与えることはない。
しかし、資産形成においては、楽観主義は極めて慎重であった方がいい。
公理では楽観の代わりに、自信を探すことを推奨している。
自信は最悪に対処する術を知ることから生まれる。
リスクを取る重要性は、第1の公理が教えてくれるが、船が沈み始めたら「大丈夫だ。」と楽観してはいけない。
楽観はあなたの判断を鈍らせる。
好転する材料(もちろん、バイアスがかかっていない状態)がないなら、損切りをするしかない。
最悪はあなたの決心を待ってくれない。
自分を救えるのは何か自信を持って答えられるなら、それは楽観よりも良い何かを持っていることになる。
公理10:コンセンサスについて
大多数の意見は無視しろ。
それはおそらく間違っている。
真実は、多くの人によってよりも、数少ない人によって発見されてきた。
多数決はほとんど宗教である。
大多数の意見は合っている時もあるが、だいたいが間違っているだろう。
多くの人が正しい答えを導き出せるのか?
資産形成に関しては、Noと言えるだろう。
Yesならほとんどの人が金持ちだ。
多くの人が信じている物事について、懐疑的であり、質問でもしようものなら、ほとんど冒涜に近い行為だ。
だが、我々はコンセンサスに反して行動しなければならない。
副公理14:投機の流行を追うな。往々にして、何かを買う最高のときは、誰もそれを望まないときである
株式を買うタイミングはいつだろうか。
株価が安い時だ。
株式を売るタイミングは?
当然、株価が高い時だ。
簡単なことのように思うが、知っていると、実行できるかには大きな隔たりがある。
人気という圧力に反して、勇気ある行動が求められるからである。
人々が熱狂して買っている時は、価格が上昇している。
つまり、売らなければならない。
その逆で、誰も注目をしていない時に買いをしないといけない。
誰もがYesと言っている時に、あたなはNoと言えるか。
しかし、注意して欲しいのが、ゴミを買えと言っているわけではないことだ。
誰も注目していないゴミを買っても、ゴミはゴミだ。
上がることがない。
逆張り投資家と言われる類が、成功するか、失敗するかはそこにかかっている。
大多数は資産形成において、人気という圧力に流されてしまうが、決して愚かではない。
群衆には、いい商品であるか判別する基準が存在する。
大多数が欲しくなるものを先んじて買うことが重要だ。
それには研究が必要となる。
また、公理では機会損失を恐れる圧力についても警告をしている。
機会損失を恐れて群衆に従うと、高いコストを払うことになりかねない。
休むも相場だろう。
公理11:執着について
もし最初にうまくいかなければ、忘れろ。
投機の失敗はよくあることで、人生のコストである。
研究していても間違った方向に進むことはある。
相場はカオスなのだから。
例えば、A株で失敗して20%の損失を出したとしても、そこに執着はしてはいけない。
A株から損失を取り返してやろうなどと思わないことだ。
儲けるのはB株でもいいし、別の金融商品でもいい。
損失は悔しく、辛いことだが、A株に貸しがあると思ってはいけない。
投機の世界で「貸し借り」という考えを持ち込むのは、非論理的である。
副公理15:ナンピン買いで悪い投資を何とかしようとするな
ナンピン買いは、魔法のようにあなたの痛みを和らげてくれる。
100ドルでA株を買って、50ドルに落ちても、最初と同じ量を買ったら、平均購入額は75ドルまで下がってくれる。
それはただの幻想だ。事実は変わらない。
実際は100ドルで買って手痛い失敗をし、その後50ドルで買い増ししたに過ぎない。
あなたは自問しないといけない。
あなたにポジションがない場合、今この下げ相場のA株を50ドルで買うか。
大概の答えはNoであろう。
他に優れた金融商品があるのに、Noと言えないのならば、それは確信できる材料があるか、A株に執着しているに過ぎない。
ナンピン買いを自分の正しさを証明するために利用してはいけない。
それは、多くの公理に反する。
できることは、素直に間違いを認めて、「船が沈み始めたら祈るな。飛び込め。」を実践するだけだ。
公理12:計画について
長期計画は、将来を管理できるという危険な確信を引き起こす。
決して重きを置かないことが重要だ。
長期計画は、将来を管理できるという確信を引き起こす。
来週あなたはどんな日々を過ごすだろう。想像して欲しい。
どうだろう。
予定を立てることはできても、急用が入り、計画には変更が必要かもしれない。
1週間であってもその程度だ。
将来を管理できるなど、おごりが過ぎる。
計画を立てることで安心感を得ることはできるが、それに縛られる必要はない。
我々にできることは、根をはらずにフットワークを軽くし、幸運を掴む準備をすることだ。
副公理16:長期投資を避けよ
「長期投資は大いなるギャンブラーである」
明日に賭けることでも十分に危険なのに、20年後、30年後のある日に賭けることなど、完全に狂っている。
世の中が予想もつかない変化を遂げ、投機対象が価値のないものになるかもしれない。
そうなることが分かっているなら、定期的にポジションについて見直すべきだ。
その投機を行うなら、この現状で同じようにお金を投じるだろうか?当初に設定した手仕舞いポイントに向かって、順調に価値を増やしているだろうか?
別の魅力的な商品があるのに、根を下ろして行動しないのは、沈む船に心地よさを感じていることと同じだ。
長期投資から抜けて、あなたは行動を起こさなければならない。
+One
マネーの公理が出版されたのは、インデックス投資が出始めたばかりの頃だ。
そのため、執筆した時には、アメリカでインデックスが生まれていないかもしれない。
改訂版が書かれるならば、インデックス投資は例外となるだろう。
また、マネーの公理では投機について書かれているため、個別銘柄などを対象に考えるならば、長期投資の危険性について警告するのは、当然といえる。