起床後すぐに思ったのが、昨日のぼったくりの件だ。
確実に引きずっている。
キューバ初日でぼったくられた話を見たい方は、以下の記事から。
そして、チェックアウト前に近くを歩いて来たが衝撃の一言。
道に色んなものが散乱している。
う◯ちだったり、動物の◯体だったり。
日本人には刺激が強すぎる。
臭いもだ。
排気ガスも酷く、目に見えるくらいに黒くて大量に排出される。
その時は心から、「キューバの滞在を長くし過ぎたかも」と思った。
とりあえず、まだ始まったばかりで決めつけるのは良くないが、日本へ帰りたくなったのが率直な感想だ。
人は優しくおせっかいな人が多いと思ったがそうではなく、話しかけてくる連中は大概がタカリだ。
アジア人は目立つからだろう。
体感として話しかけてくる9割はぼったくりか、物乞いしかいない。
オビスポ通り沿いを通って、日本人が経営しているという「日本食堂」を目指した。
このままだとスペイン語を喋れない私では、キューバを楽しめないし、情報が不足している。
是非ともキューバにいる日本人から情報が聞きたいと、切実な想いに駆られていた。
目的地まで目の前なのに、「50代くらいの黒人女性」に話しかけられた。
しかもその時に「腕を掴まれた」ので、啞然としてしまった。
どこへ行くんだと聞かれて、いや近いから「案内は必要ない」と断ったのにしつこく付き纏う。
地図を見せたら少しだけ歩いて、案内してやったからティエンダ(食品・日用品を扱う個人店)で「ヨーグルトみたいなものを買え」と、犯罪まがいの事をされた。
結局腕を離してくれないので実力行使も考えたが、キューバに来てそうそう警察沙汰は望むところではないので、仕方なく買ってその場をすぐに離れた。
話しかけられても変に反応してもいけないし、少しの油断も見せまいと思った。
何か悲しくなった。
「日本食堂」には行ったが、「別の店」になっており情報も聞き出すことができずに、本などの旅行情報も当てにならないと思った。
近くに東京の文字を掲げた店があるのだが、働いているのは現地のキューバ人で、情報を聞き出すことは諦めた。
昨日の件も含めて、朝からこれかと心が折れかけている。
チェックアウトをした。
チェックインまでの時間は、まだ数時間もあるが、キャリーケースを引いて歩いていたら、また変なことに合うと思い、すぐに次のホテルへ向かった。
次の目的地まで歩くには「4km」と遠い。
フロリディータ周辺のタクシーに声をかけて、いくらか聞いた。
「20ドル」と言われた。
はっきりと言って相場は知らない。
だがしかし、そこまでバカでもない。
空港までの距離と金額を考えてあり得ない思った。
どうせ吹っかけて来てるんだろうと思って、10ドルだ。
「10ドル以外出せない」とクソ強気に言った。
「15ドルはどうだ。凄いいい値段だ。」と、ここ周辺では多分一番安いと言われた。
昨日の一件と、今朝の件も含めて人間不信となっている。
頑なに10ドルを言い続けて、「他の奴を探すから。じゃあな!」と言い放った。
そしたら、待ってくれと振り向きざまに声がかかる。
後に分かるのだが、彼らは皆これをやりたがる。
「交渉決裂→仕方ない。待ってくれ」みたいな動きをする。
後に分かるのだが4km以内の移動であれば、2000ペソ以下が相場となる。
値下げだから機嫌が悪いということもなく、道中軽く英語で会話する。
次に行く場所について多少情報を得た。
目的地までそこまで遠くないため、すぐに到着した。
到着はしたがチェックインまで3時間ほどあった。
観光地から離れたため、困ったのは「飲み水の確保」となる。
メキシコで買った水は、残りが少なくて心許ない。
近くの人にGoogle翻訳を使って、水をどこで買うのか聞いたら、「売店」のようなもの所々にあるそうな。
ホテルの通りが公園のようになっていて、ベンチが所々に置かれているため座って本を読んだ。
どうもこの地区は住宅街となっており、近くに学校があるようだ。
チェックインまで待っている間に、何人かに声をかけられて、どこから来たのかと世間話をするが、最終的には「お金をくれ」と言われる。
ここまでで同じことを経験して来たので、強めに断る。
子供がいると言ってくる人には、お金は渡せないが、お土産として持ってきたハイチュウを渡していた。
ちょうど昼時で、キューバの学生が帰って来ていた。
かなり距離は離れていたが、ハイチュウを渡したところを見ていた数人が、もじもじと話しかけてきた。
どうやら、「ハイチュウが欲しい」らしい。
子供たちにあげるために持ってきたので、1つずつ渡していたが、周りから何十人も集まり、ジップロックに入れていた袋ごと、根こそぎ持って行かれた。
多分、50個以上は入っていたはずだ。
あげたかったのは、話しかけて来た子たちだけなのだが…
動物にエサをあげた時の状況によく似ている。
ベンチに何十人も集まり囲まれる。
子供のため怖くはないが、集団で暴行にあった人は、こんな感じなのかとふと冷静に思った。
既にハイチュウとキャラメルは強奪されたため、他にあげられるものはない。
もちろん、キャリーケースを開ければないこともないが、何を持っていかれるか分からないので、「もうあげられるものはない」と言うしかない。
そう伝えるとお腹が空いていると言って、食べ物や、お金を要求された。
お金は冗談っぽく言ってきたが、多分切実なのだろう。
日本の子供の支援を考えている私としては、数人であれば喜んで渡したたが、数百人といるであろう学生に対しては、とても足りないと分かっていた。
他にないのかとバッグパックを指さされて、開けたところ「虫除けスプレー」に興味を持たれた。
香水と勘違いしたのか、首や腕に塗って、凄く満足気だった。
あまりの乱射に一部の子供と、私が吸い込んでしまい、むせ返した。
排気ガスで喉の調子が悪かったが、これが決定打となり「喉」をおかしくした。
日本人の髪質が気になるのか、黒人の子供たちには髪をかなり触られた。
「どこから来たの?」「BTSは好き?」など色々な質問があった。
12、13歳くらいの1人の男の子が英語が話せるらしく、私に長々と話しかけた。
あまり英語を話せる子はいない。
「キューバではものがないことは知っているよね?」
「キューバでは何かものをあげる時には、全ての人に行き渡るようにしないといけない。社会主義だからね。」
「次渡すような時は、その点を注意して欲しい。」
キューバの中学生に「説教をされて」良い経験だなと思い、笑って受け入れた。
「今度は気を付けるよ。皆に渡せなくてごめんな。」
しばらく、キューバの惨状を聞いた。
英語が話せる子が通訳してくれたため大変助かった。
「キューバはもう終わりに向かっていて、後は滅ぶのを待つだけだ。」
そう言われた時は、キューバは子供にこんな事を言わせる国なのかと悲しくなったと同時に、日本がその方向に向かっていることに何とも言えない気持ちになった。
「子供たちが希望を持っていない」のは、日本に近しいものを感じた。
珍しいパンダを見たかのように最初は興味を示していたが、聞きたいことを聞けて、貰えるものもないことが分かったため、集まった数十人がそれぞれ家路に向かった。
貴重な体験や、話が聞けたので結果的に良かった。
子供たちとひともんちゃくあったが、まだまだ時間はある。
中南米の太陽は途轍もなく暑いというより、痛い。
日焼け止めは塗っているが、直射日光を浴びてしばらく外にいると肌が赤くなる。
水を確保したいと思って、近くを回ってみた。
数百mのところに売店があり、「500mlの水が1つ110ペソ(CUP)」で売られていた。
これがティエンダ(売店)かと思い、また買えるか分からないから、水を6本購入した。
そうしている間にチェックインの時間となった。
「Claxon Hotel Boutique」というホテルに1日宿泊する。
場所は「パセオ通り」と言われるそこそこ大きな道で、革命広場へ行くための道に繋がっている。
クラシックカーをイメージした部屋となっており、清潔感があり、設備も新しい。
水廻りはこんな感じ。
チェックインしてからは、色々あったせいか意識を失うように寝た。
16時から寝て、起きたのは夜の1時くらいだった。
Wi-Fiに接続できるとのことで、接続したがYouTubeを見れるぐらい回線状況が良い。
ありえない、神だ。
思わず日本の恋しさから動画を見まくったが、何のためにここに来たんだとふと我に返った。
あっという間に時間は過ぎた。
空調も良くシャワーもあり、Wi-Fiも通じる。
不満はカサよりも5倍以上高い事だろう。
正直なところ声をかけられるのが煩わしすぎて、「キューバの街を出歩きたくない」のが本音だ。
キューバ怖い。
当初はそう思っていた。